あまりに<異常>でほぼ「封印」されていた、途方もない傑作である。裁判の際、「女性が私のために恐怖で震えているのが大好きだ。それは中毒のようなもので、絶対に止まらない」「私は単に殺人への欲望から彼らを殺した」と語った、殺人鬼ヴェルナー・クニーセクが起こした1980年1月、オーストリアでの一家惨殺事件。約8年の刑期を終えて予定されていた釈放の1ヵ月前、就職先を探すために3日間のみ外出を許された際の凶行だった。決して世に放出してはならなかったこの狂人の異様な行動と心理状態を冷酷非情なタッチで描写した実録映画が『アングスト/不安』だ。斬新なカメラワーク、狂人のモノローグで綴る構造、そして全編徹底された冷たく陰鬱なトーン。
荒涼とした暗鬱の世界をとらえる映像はひたすらに暗く寂しく、静謐な空気のなか響く狂人の魂の囁きが異常性を際立たせる。描かれる内容もさることながら、作品自体が<異常>であり、その凄まじさは他に類を見ない映画史上に残る芸術性をも発揮、観る者の心に深い傷痕を残す。1983年公開当時、嘔吐する者や返金を求める観客が続出した本国オーストリアでは1週間で上映打切り。他のヨーロッパ全土は上映禁止、イギリスとドイツではビデオも発売禁止。アメリカではXXX指定を受けた配給会社が逃げた。ジェラルド・カーグル監督はこれが唯一の監督作。殺人鬼の心理を探るという崇高な野心のもと全額自費で製作、全財産を失った。発狂する殺人鬼K.を熱演したのは『U・ボート』(81)のアーウィン・レダー。
撮影、編集は『タンゴ』(81)でアカデミー賞最優秀短編アニメ賞を受賞した世界的映像作家ズビグニェフ・リプチンスキ。冷徹なエレクトロサウンドは元タンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペルのクラウス・シュルツが担当した。この音源は作品の編集前から完成しており、リプチンスキとカーグル監督は音楽に合わせて作品を編集。映画の内容を知らされていなかったシュルツは完成した作品を観て絶句、逮捕されるべきは劇中の殺人鬼なのか、あるいはこの映画を作ってしまった監督なのか、わからなくなったという。サウンドトラックの一曲、“Freeze”はマイケル・マン監督の『刑事グラハム/凍りついた欲望』(86)でも使われた。狂人モノローグにはギロチンで死刑となった実在の「デュッセルドルフの吸血鬼」ペーター・キュルテンの告白の言葉が引用された。
『カルネ』(91)のギャスパー・ノエ監督は本作を60回鑑賞、自身の作品で常にオマージュを捧げている。シリアルキラー映画の極北『ヘンリー』(86)の欧州版といわれるが、製作は『アングスト/不安』が3年早い。焦燥と不安を表現し、止めどなく動く主人公の姿を追いながらも、心の中を体感するような感覚すら得る映像世界。抑圧された狂気の恐ろしさ、封印された恐怖の最高点を、思い知る時が来た。2020年、果てしない陰鬱さが日本のスクリーンを初めて染め上げる。実際の殺人鬼、ヴェルナ―・クニーセクは『アングスト/不安』ポスプロ中の1983年、刑務所脱走を試みたが失敗、いまだに監獄で日々を過ごしていると思われる。
同じ映画をこんなに短期間で繰り返し観たのは初めてでした。
彼は私たちが空腹を感じて食事を取るくらいの感覚で、
「殺人」について考え躊躇なく行動に移します。
その衝動は怒りや悲しみ以上に、人間の持つ「欲望」が作用しているように感じました。
この作品を観た人それぞれが、幾つもの嫌悪や悲壮感もしくは(あって欲しくないですが)
共感を経験する事で、人の心の複雑さを思い知らされるのではないでしょうか。
「感情<欲望」に心の針が触れてしまった時、
私もシリアルキラーになってしまう可能性があるのか?どんな自分に正直に生きるのか?
自分の感情や感覚を100%理解できるのは死ぬまで自分だけだと思っているので、
今の自分が本当に正しい自分を選択できているのか?
自分の心を疑い、闇の中を旅するような映画でした。